特異な発展を遂げた日本のゴルフ
約45年前、テレビでカナダカップの試合中継を見ていたのがきっかけで、ゴルフというものを知り、練習場へ出入りするようになった。しかし下町生まれで、底辺の庶民階級に育った私には、ゴルフなどは上流社会の、あるいは特権階級のための特別なお遊びと捉えていた。それからいくらも時を過ごさずして、自分がコースへも出入りする様になり、まわりでも、銀行のゴルフコンペなどを主に、会社関係などのゴルフ交流が盛んに行われるようになった。
日本の高度経済成長期に於ける、こうしたゴルフ交流のあり方は、一部のアマチュアを除いては、スポーツあるいは趣味というよりも仕事のための道具であった訳で、ゴルフの本質についての正しい認識が一般に浸透する間もなく急速な発展をしてしまったのである。
当時のめざましい経済発展に合わせ、ゴルフ倶楽部の営利化と時代の先端をゆく社用族、中小の経営者達の新しい時代のステータスとしての接待用ゴルフなどと、クラブの会員になるのも、プレーするのも企業の経費でまかない、本当の意味での個が存在しなかったのだから、ゴルフの本質について知ろうとするチャンスに恵まれなかったのも、当然と言わねばならない。
当時の私も、ゴルフを始めて10年位はゴルフの歴史はおろか、ゴルフプレーの本質を深く知ろうとしたことなどなかった。とにかく英国から輸入された、かっこいい紳士のやるスポーツくらいの認識であったように思う。
こうして戦後の日本のゴルフ界は、立ち止まって振り返えり見る機会を得られず、時間をかけ、かつ経験を積み重ねることによって知ることの出来る本質と、あるべき姿を選択することもなく、非常に短時日のうちにゴルフ産業界自体が莫大なマーケットとして出来上がってしまった。
また周知のようにバブル期にあっては、会員制ゴルフ場作りの一部は、真にゴルフ場作りという産業ではなく、単なる錬金術としてしか考えなかった企業もある。日本で生まれた預託金制度についても欧米の人々に説明すると、その多くは、技術論としては判るがそんな方法が、どうしてゴルフクラブの会員制度に持ち込まれ、人々に受け入れられたのか理解出来ないという答えが返ってくるのが一般的である。
勿論日本の国土利用事情の中で、預託金制度がゴルフ産業を発展させるのに、大いに功績があったことは言うまでもない。しかし、この制度を利用した一部の心無い経営者とゴルファーによって、ゴルフ倶楽部とゴルファーが間違った特権階級意識のステータスとして位置づけられたり、投機の対象として扱われたりした為、ゴルフ場開発そのものが、悪者呼ばわりされるまでに至っている。
伝統がゴルフの真の大衆化を生んだ英国
ゴルフ発祥の地であるスコットランドに於いても、ゴルフが一部特権階級に独占されてしまいそうになったことがあった。
もともと自然をそのまま利用したコース、で倶楽部もルールもなかった時代からゴルファー達は、貴族、紳士は勿論、一般市民も、ゴルフコース上では一緒に差別なく、ゴルフそのものを楽しんでいた。そしてプレー後も、階級の隔たりもなく居酒屋に集まってゴルフ談義に花を咲かせていた。
ところが18世紀中頃、「史上最初のゴルフ倶楽部オナラブル・カンパニー・オブ・エジンバラ・ゴルフコースが結成され、続いてセントアンドリュース倶楽部が結成され、それまで庶民共々勝手気侭に行われていたゴルフに飽き足らなくなった特権階級が、ゴルフに秩序と作法を取り入れ、独占的に楽しもうとする機運が盛り上がった」(「ゴルフ史話」摂津茂和)。
しかし、セントアンドリュースに於いては1552年、ときの大司教ジョン・ハミルトンが「ゴルフ、フットボール、射弓、その他あらゆる遊戯のために」エデン河隣接のリンクス全体を市民に開放して、その管理権を市に与えたという経過があり、以来市民のための市のパブリックコースとして、400年以上も存続している。
こうした状況を可能ならしめている理念を持った国民性と、併せて庶民が培ってきたゴルフに対する思想と伝統を大事に育んでいくもとで、特権階級に蹂躙されることなく、また差別もなく、ゴルフは万民のものとなっている。
実際セントアンドリュースの街を歩き、セントアンドリュースのコースでプレーをしてみれば、ゴルフのメッカとしての佇まいを感じずにはいられない。ゴルフが市民生活の一部になっていることを実感出来るし、ゴルフコース、ゴルフ倶楽部、そして地元民のプレーヤー達からは威厳と品位とともに、歴史を感じ取ることが出来る。
こうして万民のスポーツとして、地元民と密着し、王室を含め、公法に守られている姿は、ゴルフとゴルフコースの本来あるべき姿を示唆しているように思える。
これからの日本に於いても、ゴルフは本質的には、老若男女を問わず、技術的にどんなレベルの差のある者同士でも、一緒にプレーすることのできる唯一の健康的なスポーツであり、ますます大衆化されて行くものと思われる。
苦闘するほど勝利の喜びは大きい
勿論ゴルフの楽しみ方には色々あって、人様々であって良いと思うが、その本質が何か位は判っていた方が良い。
ゴルフは、随分とアンフェアなスポーツだと考えられる。特にスコットランドのリンクスでプレーしてみると、フェアウェーの真ん中に飛んで行ったボールが、小さいが、きつい傾斜のマウンドに跳ねて、ヒースやホインなどの灌木の茂みの中へ入り込んでしまうといったような不運に見舞われることなどは日常茶飯事である。アメリカでは、良い仕事をしたら、その報酬は、見合ったものでなければならないという観念があるので、この様な結果は一般的には受け入れられない。
だが、摂津茂和氏はゴルフの本質と精神について、次の様に書いている。
「スコットランド特有の不文律は、これらの悪条件と堂々と戦い、どのような不運に遭遇しても、いささかの憐愍も斟酌も与えず、熟練によって打ち勝ち、負けるとも自己の最善を尽くすことをもってゴルフの精神となしたのである。このゴルフの精神はスコットランドの厳しい寒さの気候と険しい地形のハイランドに育ち、長年の殺伐な戦乱に鍛えられた彼等が、堅忍不抜のみが、逆境に打ち勝つ最上の手段と信じて、ゴルフに於いても、ゲームを容易にすることを考えずに、むしろ自然の困難を増やして、苦闘すればするほど、勝利と熟達の喜びを味わうことが出来ると考えたのである」(「ゴルフ史話」摂津茂和)
欧米、特に英国ではあらゆるスポーツの中で、ゴルフほど人生を考えさせられるスポーツは他に類が無い.という認識で一般に受け止められている。
ゴルフはよくマネージメント力の勝負とも言われているが、この本質を応用して、アメリカに於けるゴルフ・スクールであるゴルフ・アカデミーでは、ゴルフを通して、マネージメントをロジカルに修得させ、優秀なプレーヤーを育てるだけではなく、あらゆる職業の管理者教育に役立たせているのである。
知識と理解が深まればゴルフ界発展につながる
現代では自分達がプレーするゴルフと、見て楽しむゴルフ、即ちプロのトーナメントとがあるが、見て楽しめるということは良く判っているということである。自分には出来ないプロの技術や、コースマネージメントについて知識と理解度が深ければ深いほど、楽しめる度合いも深まるというものだ。高度な技術やコース攻略法がどのように実行されたかを見極めるには、当然のことながらコースの設計、デザインについても理解が必要となってくる。
設計、デザインは、そのコースの持っている戦略性そのものであるのだから、結果アマチュアとしても自分達のゴルフプレーに、どう取り込んでいくかが問われる様になる。
理解が深まれば、当然のごとく、次は世界に目が向けられる様になり、日本のプロやアマチュアのゴルフのレベルは、アメリカやヨーロッパ各国のそれと比べて、どの位のところに位置しているのか。またトーナメントの運営などもどこが違っているのかなど、厳しい目と知識をもったゴルファーが育つことになる。
当然のこととしてプロに対する要求も高くなり、それに伴ってプロ達も高度な知識と技術を身につけるようになる。人間性すらも磨かれ、ますますプロの競技が面白くなり、ゴルフ界の発展へと継がれていく。日本のマスコミ関係も、いま日本が置かれているポジション、欧米の一流選手達と日本の実力の差や、トーナメントの運営のあり方、コースセッティングの差など、テレビの画面だけでは十分伝わらない部分についてもっと、ほんとうのところを日本の一般ゴルファーに伝えて貰いたいものだ。
かつて日本オープンに参加したベルンハルト・ランガーが、スポーツ新聞のインタビューに答えて「初来日した15年前に比べれば日本は進歩しているが、日本人はもっと手強いコースでプレーすべきではないか、よりタフなコースで戦って行くべきだ。難関こそが日本の力を伸ばすことになる」といっている。
このことはプレー技術だけでなく、ゴルフ界全体のこととして考えられるし、前述のゴルフ精神と全く、一致するものだ。
厳しい要求に応える挑戦的コース設計
こうした厳しい要求に応えるためには、勿論コース設計、デザインというものが、大きく関わってくる。前述のようにマネージメント力が要求されるのがゴルフプレーであるとすれば、当然ゴルフコースも、その美しさや優しさと一緒に、プレーに要求する厳しさや、激しさなども持ち合わせていなければならず、これ等が戦略性という形でデザインの中に盛り込まれる。しかも高度な戦略性というものは単純ではなく、その意図は簡単には見抜かれないようになっている。
だからこそ、デザインする方も、そのコースを攻略するプレーヤーも、双方に、ゴルフプレーに対する深い理解が必要とされるのである。
今迄経験してきた、日本に於けるゴルフ場開発関係者達の良いゴルフコースというものに対する考え方として、代表的なものは、パーが72で7000ヤード以上、プロに難しくアマチュアに易しいコースというのが、圧倒的大多数意見として現存している。
しかしプロにも、アマチュアにも楽しめるコース作りというのは可能だが、プロに難しく、アマチュアに易しいコース作りなど有り得ない。距離のこと一つ取っても、アマチュアが120ヤード打つよりもプロが170ヤード打つ方が正確なのだし、従って、ティーグランドの位置の設定を変えた位では、その差異を出すことは出来ない。単にバンカーだとか他のトラップを置くだけでは、同じことが言える。
「優れたプレーヤーに取っては、ペナルバンカーは単に浮標か灯台の役を果たすにすぎない。それは水路を示し、距離測定器として役立つだけである」
近代名設計家の1人といわれるT・シンプソンに、こういわれているくらいだ。
そうしたハザードは、アベレージ・ゴルファーを苦しめるだけにすぎない。またロバート・トレント・ジョーンズは、プレーヤーと設計家の関係について「もしそこに計画と正直な自己評価が伴うならば用心深いショットよりも、敢然たるショットが奏効する--。これがコースの戦略的設計の神髄である」といっている。
大衆化に向け望まれるゴルフ界の再構築
これからの日本に於けるゴルフコースのあり方について、戦略的観点と運営上の問題点とを吟味して整合性を問いかけていかねばならず、その要求に答えていくとなれば、幾分かのコース改造が求められるようになるであろうし、そのときに備えて、コース設計家達の不断の努力が必要とされる。
アメリカに於ける第4次ゴルフ場建設ブームといわれる1993年に新設された358コースのうち、81%が、民営と公営のパブリックコースであり、会員制のコースは19%であった。
真に大衆化されているアメリカに於いては、会員制のコースよりもパブリックコースが大衆の要求であり、事業性に於いても優位であると判断されたためであろう。
アメリカに追随している日本であれば、それから10年後、即ち、2003年頃には、日本もパブリックの波が大きく押し寄せてくることは間違いない。但し、日本の国土利用の事情は民営、公営あわせても、パブリックコースが数多く出来てくるという環境にはない。
現状の休耕田や伐期の過ぎている二次林の自然林への回復作業なども合わせた開発などで、公営のパブリックコースなどが考えられる。時代の流れはその事を考慮すべき時に来ていると思われるのだが……。
日本のゴルフ界の低迷、特にゴルフコース運営の低迷の原因はゴルファーが減少したのではなく、1人あたりのプレー回数の減少が最大の原因であるとされている。会員コースを持たないパブリックゴルファーと、そして接待などで使われるビジター数の減少などが主な要因である。従って低料金のパブリックコースの建設が望まれるところだが、現状の会員制で運営されているゴルフ場に於いても、条件次第では運営方針の転換を計り、セミパブリック制度に近い形で、一般大衆ゴルファーの開発に努めなければならない。
会員制ゴルフ場として、運営も経営も確立されているところは別として、一般的には本気で地元対応型の運営を考えるならば、アイデアはいくらでも出てくる筈だ。
欧米に見られる様に、本来ゴルフ場というものは地元対応型で立つべきものなのだ。
21世紀に余暇時代を迎えるにあたっての、ライフスタイルの変化調査「日本リクリエーション協会」によれば、今後の生活の力点は、住生活、食生活などを上回ってレジャー、余暇生活の充実がトップとなっている。その目的は「心の安らぎを得るため」という回答が「健康や体力の向上」あるいは「自然とのふれ合い」といった項目よりも最優先されている。特に、運動、スポーツをなぜ行うかという項目では、「楽しみ、気晴らし」という回答が全体の34%を占めており、「身体を丈夫にする」「精神の修養、鍛錬」「友人、仲間との交流」を抑え上回っている。
要は余暇の過ごし方も、まわりに左右されることなく、個々が自立した考え方で行動するようになってきているというべきだろう。またゴルフ界にとって、大変参考になる調査として、2000年度を対象に行った主要スポーツの参加人口の予測が挙げられる。
あらゆるスポーツの中で、伸び率のベスト4は水泳、ゴルフ、テニス、スキーであり、特にゴルフについては、コースに行く人口2810万人、練習場にいく人口2990万人、合わせて5000万人以上と、断然トップの数字を挙げている。ジョギング、マラソン、野球等は、むしろ減少傾向の数字になっている(スポーツ産業研究会報告書「スポーツビジョン21」)。結果は予測どおりとはならず、現状の数字は多少落ち込んでいるが順位は変わっていないと思われる。
これらの数字からすれば、ゴルフ界は益々大衆化されていく事になるので、日本に於いては、今度こそ本当に庶民になじむスポーツとして、ゴルフ界を再構築していく事が急務と考えられる。
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