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我孫子GCの改造
日本ゴルフコース設計者協会
理事 戸張 捷
 

ゴルフコースに関心のある方なら、1930年(昭和5年)開場の我孫子ゴルフ倶楽部が昨年初めからコースをクローズ。10か月間をかけてコース改造を敢行したことをご存じだろう。
我孫子は、日本のゴルフ場設計の草分けといえる、赤星六郎さんの手によって誕生したコースである。
私は、父親が同倶楽部創立時のファウンダーメンバーのひとりだったことから、1961年(昭和36年)にメンバーになった。だから、我孫子でゴルフを覚えたと言えるし、特別な愛着がある。
その我孫子が創立100年に向け、「より豊かな倶楽部ライフの醸成」と「存在感のあるコースへの改修」を目指し、1グリーン化の改造に踏み切った。それも、10か月間も閉鎖しての思い切った改造だった。
完成後の姿を見た今、結論から言えば、今回の改造は富田浩安理事長をはじめとする我孫子GC理事会の大英断であり、素晴らしい選択だった。
ここではその改造の経緯を簡単に紹介したい。

リノベーターに求められる資質

改造に際して一番の問題はリノベーター(改造・改修設計者)選びである。当たり前だが、改造は新規設計のオリジナルデザインとは違う。単にいまの時代のゴルフに色褪せないようリモデルするというのではなく、倶楽部側の思いを理解し、それを形にできる設計家でなければならない。どんなに優れた設計家でも、その個性が勝ちすぎてはいけないのだ。
我孫子の場合は、何より赤星さんが造ったオリジナルのテイストを生かせるリノベーターが求められた。赤星さんの設計には、彼のゴルフの原点であるパインハースト、そして(パインハースト2番コース等の設計で著名な)ドナルド・ロスのクラシック(正統派)なテイストが宿っている。だから、我孫子のリノベーターは、ドナルド・ロスのテイストを継承できる設計家でなければならないと思う。
設計家選びのリサーチを委託された私は、最終的に15人前後をリストアップ。時間を作っては、それぞれが手がけたコースを見て回った。そのなかで最も適任と思われたのが、今回担当したブライアン・シルバだった。
最初に彼の手腕に着目したのは、カリフォルニア州パサディナにある1906年開場のアナンデールGCを見たときだった。もともとウィリー・ワトソンとビル・ベルの手による名コースで、それを彼が近年リノベートしたのだが、見事なモダン・クラシックに仕上がっており、メンバーによれば、想像以上の出来栄えにみんな大喜びしているという。
実はそれより前、私は彼のオリジナルデザインのコース、ボストン郊外のブラックロックCC(2002年開業)でプレーしていた。そこでも、新しいコースながらモダン・クラシックの落ち着きのあるたたずまいに感心した。
改めて彼の経歴や評価を調べると、オーガスタ・ナショナルGCの近くにあり、ドナルド・ロスが設計したオーガスタCCなど、オールド&クラシックなコースを、そのテイストを壊すことなく今に甦らせることで人気のリノベーターだった。
それゆえ倶楽部側も「適任」と判断。交渉することになった。タイミングのいいことに、間もなく開催される全米女子オープン(2008年)の会場、ミネソタ州のインターラーケンCCもやはりドナルド・ロスが手がけ(改造)、最近シルバがリノベートしたコースだった。テレビ中継の仕事で同オープンを訪れる私は、電話で面談を申し込んだ。しかし、そのときの彼の返事は「話を聞くのは構わないが、日本に行って仕事をするつもりはない」というものだった。 それでも会ってこちらの思いを伝えることにした。富田理事長も遠路合流し、当日を迎えた。

シェイパーとの絶妙のコンビ

ところが、約束の時間になってもシルバは現れない。私は彼の携帯電話の留守録≠ノ30回はメッセージを吹き込んだだろう。
どれくらい待っただろうか。ようやく現れたシルバは、心の底から恐縮していた。
「大事なミーティングに遅れて本当に申し訳ありません」
約束を失念したうえに、携帯電話を忘れて出かけたという。
そして、その結果、元来誠実な人柄の彼には、我々のオファーを断る選択はなくなったらしい。
「とにかく一度現地を見てもらって、それで担当する気になったらプレゼンテーションを提出してください」という我々の提案に、その場で応じた。
もともと彼は現場で技術を身に付けたブルーカラー育ちの設計家だ。来日時は、空港からそのままコースに出られる服装で、とても気さくな人間だった。
もちろん、後日提出されたプレゼンテーションには理事会も納得。改造を依頼することになった。
その選択が正しかったことは、彼の仕事ぶりを見てすぐにわかった。著名な設計家にはフォアマン≠ニ呼ばれるスタッフが本人の代わりに現場を見て、ボスに報告するケースがあるが、シルバは必ず本人が、しかも10か月の間に十数回も我孫子を訪れ、滞在中はほとんどの時間を現場で過ごした。
そのシルバが一つだけ我々に強く要求したことがあった。それはカイ・ゴールビーというシェイパー(実際に土を動かす造形担当者)と契約してもらいたいということだった。
ゴールビーは、マスターズ優勝者のボブ・ゴールビーの息子で、ウェイクフォレスト大学のゴルフ部出身だが、途中からコース造りに興味を持つ。そして、いまやトム・ドークなど著名な設計家からも指名される人気シェイパーとなった。
シルバは「我孫子のシェイピングはどうしても彼にやってもらいたい。私のフィーを削ってでもいいから」というのだ。彼がそこまで力量を認めるのなら倶楽部側に断る理由はない。もちろん彼のフィーを削ることもなく、ゴールビーと契約した。
これも大正解だった。シルバとは絶妙のコンビで、シルバの思い描いたイメージが彼の手によって難なく具現化される過程を目にし、感心させられた。
改造作業が終わったあと、シルバは倶楽部側にこう申し出た。
「リノベーターとして私の名前を出すときは、必ず彼の名前も一緒に出してほしい」

シルバも誇りとする出来栄え

我孫子の成功の一番の要因は、前述のように「自分の意匠に固執することなく、倶楽部側の思いを理解し、形にできるリノベーター」を選んだことにあろう。 そして、もう一つ。
シルバがアメリカの専門誌に寄せた文章を読むと、我孫子の改造は彼にとっても誇れる仕事であり、現場とはとてもいい関係が築けたようだ。彼と信頼関係を築きながら作業を進めた現場スタッフと倶楽部側の姿勢もまた、成功の大きな要因だったのだろう。
最後に、今改造に対する個人的な思いの吐露を許してもらいたい。
80年余前、赤星六郎さんがコース造りに当たったとき、私の父親もその過程を間近に見、習うことも多かったに違いない。その赤星六郎さんのゴルフの原点はドナルド・ロスであり、そのドナルド・ロスの設計哲学を熟知し、継承するブライアン・シルバが我孫子に新たな息吹を吹き込んだとすれば、彼の招聘に一役買えたことは私にとっては大きな喜びである。父親にもいい報告ができるだろう。
そして、私自身も彼のコース歩きの全行程に同行できたことで、学んだことも多く、とても楽しく、素晴らしい思い出となった。

 

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